江守の里山車の軌跡 壮友会編 2003以前
江守の里山車には、様々な歴史があります。
今回はその足跡をたどっていきましょう。
江守の里山車に至るまで。
有志たちが集まり、人を魅了し誇り高きものは何ができるか無い知恵を集結して出来上がったのが、東北祭りの一角『秋田の竿灯まつり』の提灯を真似して、江守の里の祭りに披露しようと、作製し練習を重ねていったのでした。
しかしながら、写真のそれとはいかないまでもそこそこの出来で、有志の一員が「これなら地区の祭りにもっていっても、恥ずかしくねーぞ!」と言い出し、地元の祭りの一週間前にも関わらづ、持ち上げる練習と化していたら、本番直前支柱がぽっきと折れてしまい、この企画は持ち越しになりました。
諦めきれない江守の里有志たち
やはり祭りは、神輿が一番と世界体操が鯖江サンドームで行われるのを見据えて、そのモチーフの山車を作りました。
1995年 福井市の最大の祭り「福井フェニックス祭り」の手作り神輿にも社南地区として出典至協力をし大賞も受賞しました。
この時は、みんなで一つになって活気ある夏祭りでした。ぜひ復活を願います。
現在の山車原型 試行錯誤の柴田勝家
現在の山車作りの引き金になった当時の写真です。当時はインターネットの情報や、どんな事をやって作っているのか分からず、手探り状態の中で試行錯誤しながら作った作品です。
若干大型すぎた感の山車から一変
大型の山車を維持していくには、保管場所の問題があり、またしても頭悩ますこととなりましたが、打開策として打ち出されたのが、能登地方の伝統になっている、「キリコ山車」でした。
ここまでとはいかないが、図柄を毎年交換して、毎年テーマを変えていくことで飽きのこない山車が出来、尚且つ支柱さえ組み替えれば、コンパクトに収納できるというう点では、年数回の祭りには重宝しました。
作製当初は子供会の協力もあり、小さなキリコ山車も作り一緒に山車引きしました。
やがて勇壮な山車を追い求め、雨の日にも強い防水をするように進化を遂げていったのです。
能登地方の伝統の祭りにはまだまだ程遠いものでしたが、なかなかの仕上がり具合でした。