江守の里 山車 令和二年 2020年
この年が明けると共に今までに経験したことない流行り病の猛威が世界中を駆け巡っていくとは思いませんでした。
いろんな行事をはじめ、場合によっては様々な仕事までも止めざる得ない程の大変なことになりました。
当然地元江守の里の祭りは中止、地区の社南納涼祭も中止と相次ぎ、せめてふくい祇園まつりだけでも何とかできないものかと考えていると、もともと祇園祭とは災いを払拭するお祭とされて執り行われた祭という事で、役員一同で検討し福井市との協議も踏まえて、何もかも中止の世の中を祭神輿等の集結との事で、我々夢プラン作成の山車も展示することになりました。
この年制作の山車は例年作っている物とは少し変わり、福井駅前からお焚き上げ会場の足羽川河川敷まで、小規模な密にならない様な隊列を作るという事で、コンパクトなものを考慮していると、以前から構想の中にあった江戸時代の祇園祭挿絵にある馬印を作る事にしました。
馬印とは
馬印(うまじるし)は、戦国時代の戦場において、武将が己の所在を明示するため馬側や本陣で長柄の先に付けた印。
ハピテラスには様々な神社のお神輿が鎮座していて、江守の里山車もその一角に置かせて頂く事が出来ました
この千成瓢箪、福井市歴史博物館元館長より取材したところ、千成瓢箪といえば、豊臣秀吉となるところですが、越前松平初代藩主『結城秀康』がしばらくではあるが、秀吉の所に養子に行っていた事から、当時より「太閤さん」と崇められていた為、先頭付近に太閤秀吉の馬印を配置したと思われる、諸説紛々ではあるが
そしてふくい祇園まつりのフィナーレとなる足羽川河川敷でのお焚き上げが行われました。